岡畑農園創業一代記|紀州梅干の革命児 岡畑精一物語
第三章
 
岡畑が結婚したのは昭和44年のことである。
妻・康栄(現岡畑農園専務)とはお見合いだった。これまで一家の大黒柱として遊ぶことも知らず働きづめだった岡畑は「自分の妻となる人にはきちんと自分の仕事を見てほしい」との思いで、康栄を初デートで梅園に連れて行ったのであった。
 

 

初めて会ったときに「この人と結婚するかもしれない」と思いました。
彼の夢を自分も一緒に追いかけようと決意したのです。
(岡畑康栄)

「仕事ひと筋のとってもまじめな人なんやけど、会ってみてくれない?」
友人にそう言われてお見合いをしました。その時私は21歳になったばかりで、結婚をする気なんて全然なかったのです。高校を卒業して大阪でOLをしていたのですが、20歳になった途端に、両親からの「早く帰って来て花嫁修業をするように」という矢のような催促に負け、泣く泣く帰って来たばかりでした。ですから、最初から断るつもりの軽い気持ちでお見合いをしました。

ところが初めて彼に会ったとき「私はこの人と結婚するかもしれない」と思ったのです。両親に「精一さんと結婚を前提に付き合いたい」と伝えたのですが、あれほど早く嫁がせようとしていた両親は猛反対。「お前に農家の嫁が努まるはずがない」と言うのです。
しかし、若くて世間知らずの私は「これは私の問題で、私の人生やから、私の好きなようにさせてほしい」と言いました。
そして自分でどんどん話を進めてお付き合いをするようになりました。今思えばかなり積極的だったと思います(笑)。


初デートの場所? 満開の梅畑

紀州上芳養のすばらしい風景

寒さに耐えるけなげな梅の花のように…

一番最初に二人で行った所は梅畑。
梅の花が散って新芽が出始めた広い畑の中を歩きながら、梅のことを彼は一生懸命説明してくれたのですが、当時の私はあまりにも無知で、何を言われてもチンプンカンプンでした。
でも、ただひとつ、今でも心に残っていることがあります。それは「梅はどれだけたくさんの花が咲いても自分の花だけで受粉する確率が低いんや。満開になって4〜5日暖かい日が続いてミツバチが活動してくれたら、他の花の花粉をもらって受粉して、やっと結実する事ができるんや。でも梅の花の咲く頃は、まだ寒い日が多いからなぁ。他の果樹に比べたら実を付けるための条件は厳しいなぁ」という話です。

私はそれを聞いて、梅はなんとけなげなのだろうと思いました。いつ寒波がやってきて花が全部ダメになってしまうかもしれないのに、一月の末頃から開花し、二月半ばには寒さに耐えながらも満開の花を咲かせる梅。

彼が「自分の夢を実現するには一人では限度があるけど、二人なら二倍じゃなくて三倍にも四倍にもできると思う」と言うのを聞いて、「私も梅の木のようにけなげにがんばろう」と固い決心をして、結婚しました。
昭和44年の9月のことでした。

   
 
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